大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和56年(行ツ)171号 判決

上告人 中村吉郎

右訴訟代理人 中村愈

被上告人 日本弁護士連合会

右代表者会長 山本忠義

右訴訟代理人 根岸攻 太田孝久

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告人の上告理由について

昭和五一年日本弁護士連合会会規第一九号(日本弁護士連合会会長選挙規程)によれば、被上告人においては、右選挙規程一三条の規定により、被上告人の会長選挙の公示の日の一〇日前において、被上告人に備えた弁護士名簿に登録されている会員で、弁護士登録年数が通算一〇年以上の者は、すべて右選挙の被選挙権を有するとされているが、同規程一四条によつて、弁護士法五七条の処分を受けた者は、受けた処分に対し不服の申立ができなくなつた日から三年を経過するまでは、右の被選挙権を有しない旨定められていることが明らかである。そうすると、上告人は、右選挙規程一三条に定める弁護士登録年数が通算一〇年以上の者であることとの要件を満たしているならば、本件業務停止期間が経過した後においても被上告人の会長選挙における被選挙権を有しないという不利益を受けていることになり、行政事件訴訟法九条の適用上、なお本件裁決の取消しによつて回復すべき法律上の利益を有するとされる余地があるというべきである。それゆえ、右と異なり、本件業務停止処分を理由として上告人を不利益に取り扱いうることを認めた法令の規定はないから本訴は不適法である、とした原判決には、法令の解釈適用を誤つた違法があり、右違法が原判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は結局理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件は、上告人について前記選挙規程一三条の定める要件の有無及び右要件を満たしている場合においては更に請求の当否について審理させるため、これを原審に差し戻す必要がある。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 寺田治郎 裁判官 横井大三 裁判官 伊藤正己 裁判官 木戸口久治)

上告人の上告理由

第一点 原判決は憲法第一三条及び第三二条に違反する。

一、原判決は、本件懲戒処分に係る業務停止の期間が経過した後においては、上告人は本件原処分及び本件裁決の取消によつて回復すべき法律上の利益をもはや有しないと判断しているが、右判断は憲法第一三条に違反する。

(一) 憲法第一三条前段において「すべて国民は個人として尊重される」と定められているが右規定は国家、社会における全体と個人との関係において個人の根元的価値を認め、個人の人格を尊重すべきことを意味すると解されている。

(二) ところで違法な行政処分によつて個人の名誉、信用が毀損された場合当該行政処分の取消訴訟を提起し、判決によつてその効力を対世的に覆滅させることが名誉、信用の社会的回復のため最も有効適切であり、これが個人の根元的価値、人格の尊重にも資することはいうまでもない。

(三) 原判決は、本件原処分について業務停止の期間が既に経過し上告人が弁護士法及び被上告人、京都弁護士会の規則、規程上過去に懲戒処分を受けたことを理由として何らの不利益も受けず、また名誉、信用の社会的回復のためには損害賠償請求の方途も存するとして、本件訴訟の訴の利益を否定するが、上告人が弁護士法、右規則、規程上不利益を受けないとしても本件原処分及び本件裁決による名誉、信用の毀損という多大の不利益は依然として存続し、そのために憲法第一三条により保障されている個人の尊厳が損われている。

右不利益は損害賠償請求という副次的な方法では完全に除去されるものでなく、判決による本件原処分及び裁決の取消が必要不可欠である。

(四) 以上のとおりであるから上告人は本件訴訟により回復すべき憲法上の利益を有するので、右訴訟により回復すべき法律上の利益を有することは当然であり、これを否定した原判決が憲法第一三条に違反することは明らかである。

二、原審の訴訟手続及び原判決の判断は憲法第三二条に違反する。

(一) 上告人は東京高等裁判所昭和四八年九月二七日判決(同裁判所判決特報二四巻九号一七八頁)と同様、弁護士に対する懲戒処分に係る業務停止期間経過後も、裁決取消を求める訴の利益は存するとの見解の下に本件原処分の業務停止期間経過後の昭和五二年一月上旬本訴を提起した。

爾来昭和五五年一〇月二七日口頭弁論が終結されるまでの間本案についての弁論、乙第一号証ないし第二一一号証の取調、上告人本人尋問等本案についての証拠調が行われ、訴の利益が問題とされることはなく、その有無につき釈明権が行使されたことも全くなかつた。

そこで上告人も本訴について当然本案判決がなされるものと確認し、これが確定を俟つて損害賠償請求訴訟を提起する予定であつた。

しかるに原審は口頭弁論終結後の昭和五六年一月二六日に至り、突如として口頭弁論再開を決定し、裁判長、裁判官田中永司において上告人に対し訴の利益の有無につき釈明命令を発するに至つた。

(二) 本件原処分により上告人の蒙つた損害の賠償請求をなすにつき消滅時効の起算点は、上告人においてこれが違法であることを確定的に知つた時と解すべきところ、業務停止期間経過後も本件裁決取消訴訟の訴の利益があると解されるならば右起算点は取消判決確定の時と解しうるが、訴の利益の有無につき原判決の如き見解に立つならば、業務停止期間経過後は本件裁決を取消す判決を得る余地はないので、原処分があつたことを知つた時を消滅時効の起算点とせざるを得ないこととなる。

而して原審は上告人が原処分のなされたことを知つた時(昭和五〇年一〇月二七日)から三年以上を経過した昭和五六年一月二六日に至つて前記釈明命令を発したのであるから、上告人において、本訴につき訴の利益が否定された訴訟判決がなされうることを予想してその時点において損害賠償請求訴訟を提起しても請求権が時効によつて消滅していると判断される可能性が濃厚であり、そうだとすれば上告人は本件懲戒処分につき裁判上の如何なる救済も受けられない結果となる。

(三) 以上のとおりであるから原審の訴訟手続及び原判決の判断は「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と定めた憲法第三二条に違反する。

第二点 原判決は本件懲戒処分に係る業務停止期間経過後においては行政事件訴訟(以下行訴法という)第九条の規定の適用上、上告人は本件原処分及び本件裁決取消によつて、回復すべき法律上の利益をもはや有しないと判断しているのが、右判断は右規定の解釈、適用を誤り、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一、行訴法第九条にいう「回復すべき法律上の利益」の意義については見解の分れるところであるが、同法の目的が違法な行政処分に基因するあらゆる不利益を除去し、国民の受けた実害救済の徹底を期することにある以上、権利ないしは実定法上国民のため保護されている利益のみならず違法な処分の取消の結果得られる利益で保護に値するもの一切を包含し、名誉、信用等の回復も含まれると解すべきである(原田尚彦著「訴の利益」二〇頁)。

したがつて本件懲戒処分による業務停止期間経過後、上告人が本件原処分を理由として弁護士法上不利益を受けるおそれがなくなり、また本件原処分を理由として上告人を不利益に扱うことを定めた法令の規定がないことを根拠として右期間経過後において上告人は前記法律上の利益を有しないとする原判決の判断は狭きに失し失当というほかない。

原判決も認めるとおり、本訴は弁護士の使命、職責の故をもつて名誉、信用の社会的回復の目的で提起したものであるから、当然前記法律上の利益があると解すべきである。

二、原判決は最高裁判所昭和五三年(行ツ)第一七〇号、同五五年一月二五日第二小法廷判決を先例として前叙のとおり判断しているが、右最高裁判決は本件の如く弁護士の懲戒処分につき裁決取消を求める場合の先例とはなりえないものである。

すなわち弁護士は基本的人権を擁護し社会正義を実現することを使命とし(弁護士法第一条第一項)、その使命に基き誠実に職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力することを義務づけられ(同条第二項)、常に深い教養の保持と高い品性の陶冶に努めることを法律上要請されるのであつて(同法第二条)弁護士にとつてその者が弁護士法に違反し、その品位を失うべき非行があつて同法第六四条の規定する除斥期間も経過していない生々しい事実であるとの烙印を押され、一時的にであつても業務停止の懲戒処分を受けることは弁護士としての名誉を傷つけられ、社会的信用を失墜し、ひいては、法律上の要請である品性への評価を失うものであつて、かかる使命及び職責からする人格的評価が実定法上の要請である点において然らざる者との間に著しい差異がある。

而して前記最高裁判決は宅地建物取引業法に基き、同取引を業とする法人が業務停止の懲戒処分を受けた事案に関するものであつてその事案に関する限り妥当とするとしても本件の如く弁護士の受けた懲戒処分につき裁決取消の訴の場合の先例とはなりえないものである。

本件については弁護士の使命からその名誉及び信用が実定法上重要な意味を有することを正しく認識し、業務停止期間経過後においても懲戒処分に係る裁決取消を求める訴の利益を認めた前東京高裁判例こそが正に適切な先例たりうるのである。

三、原判決の如く業務停止経過後においては原処分及び裁決取消を求める訴の利益がないと解するならば行訴法及び弁護士法の解釈上著しい不都合を生ずる。

(一) 行訴法は取消訴訟につき詳細に規定し、取消訴訟以外の抗告及び当事者訴訟、民衆訴訟、機関訴訟については必要に応じて取消訴訟の規定を準用して補充的に規定しているところからも、取消訴訟を行政事件訴訟の中核として捉え、その重要性を認めていることが明らかであり、これは違法な行政処分を是正し、国民が受けるあらゆる不利益を救済することが同法の目的であることからも当然である。

しかるに原判決の如く業務停止期間経過後においては原処分及び裁決取消を求める訴の利益はないとするならば、行訴法が折角取消訴訟の制度を設け、これにつき詳細に規定した趣旨は没却され、同法の取消訴訟の規定は有名無実となつてしまうのである。

何故ならば取消訴訟の審理には長期間を要するのが通例で本件についても第一審だけで四年以上を要しておりその間に業務停止期間が経過してしまう場合が殆んどである。

また本件の如く裁決取消の訴しか提起できない場合は審査請求に対する審査期間中に業務停止期間が殆んど経過してしまうのであり、本件についていえば原処分の告知がなされた昭和五〇年一〇月二七日から審査請求の裁決書を受領した同五一年一〇月八日までの間は実に一一カ月以上であり、原処分の業務停止期間は余すところ一カ月もなくその間に裁決取消訴訟を提起し、口頭弁論終結に至るなどということは現行の裁判制度の下では到底不可能である。

かように行訴法の趣旨を没却し、裁判制度を無視する結果を招来する原判決の判断は到底容認されないところである。

(二) 弁護士法第七条によりその懲戒は(1)戒告(2)二年以内の業務停止(3)退会命令(4)除名の四種とされるところ、同条の解釈上懲戒の軽重は戒告が最も軽く順次重きを加えるので業務停止は戒告より重いことが明らかである。

戒告にはその性質上期間を付する余地はないので、これについて適法な裁決取消訴訟を提起しておれば訴の利益が否定されることはないのに対し、業務停止についてはその期間が経過したとの理由で裁決取消訴訟の訴の利益が否定されるならば戒告より重い筈の業務停止の懲戒処分につき裁決取消訴訟による救済が著しく制限されるという不合理を生ずることとなる。

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